ヨガについてはもちろん、世界のヨガスタジオやヨガの先生、そしてヨガ辞典までヨガに関するすべてがここにあります。ヨガに関して何か疑問があるトキはまず、検索してみては?あなたのヨギライフをサポートします。
マスタースダカー先生のレッスンレポート!!!

2012-10-19 Fri 11:09
ヨシ先生がマスタースダカー先生WSのクラスレポートをブログに書いて下さったので紹介いたしま~す!!!

スダカー1


スダカー2


スダカー3

↓↓↓↓↓↓↓↓以下からレポートです!!!クリック↓↓↓↓↓↓↓↓
マスタースダカー先生WS①
スダカー先生のワークショップが、
名古屋初で MySOUL8にて行われました。

スダカー先生のレッスンは参加するのは初です。
香港ヨガカンファレンスやヨガフェスタ横浜では挨拶だけだったので、
とても楽しみにしていました。

2012年秋の時点で、ヨガフェスでも真っ先に予約が埋まったりして、
今、日本で1番話題の先生と言えるかもしれないですね。

アジアでは、本拠地の香港のPUREヨガでは大人気メイン講師だし、
台湾・シンガポールなどでも大活躍の先生です。


スタジオに来ると、そこらじゅうにあるガネーシャ像を喜んでくれました。
日本のスタジオに色々まわったけど、
インドの伝統であるガネーシャ神をこんなに大切にしてくれているスタジオははじめてだ!
って喜んでくれました。

ガネーシャは、障害を取り除く神様、まさにヨガのプラクティスがそうだよね。
って会話から始まり、入口に入ってスグのガネーシャ像の配置へのアドバイスや、
スタジオ入口の横たわったガネーシャ像へのアドバイスなどいただきました。

今回のワークショップは、いつも練習している生徒さん達以外の方の参加が多かった様に感じました。
マスターと言うのがイメージが先行して、
MySOUL8の生徒さんは先生向けと思って遠慮したのかもしれません。。。

まぁ、正直に言うと…
やはり、自分が参加したことのない先生は噂や人気だけで推薦できないのが自分の性格です。

タイトルは、『執着からの解放』で、ヴィンヤサすると言うものでした。

面白いのは、今日のタイトルは何になっているんだ?
って、通訳のまどかさんにワークショップの途中で聞いている姿でした。

僕は前もってワークショップの為に決まった内容を用意しないんだ。
その時に、必要なヨガレッスンを提供するんだ的なことを言っていました。

いやぁ、共感できます。

レッスンに参加されるメンバーから、マットの位置から、
季節・時期から、場の雰囲気まで毎回違うんだから、
彼ら(参加者)にあった説明方法や内容があるべき。

自分がいつも気にしていることとしてある、どうしたら参加者達とヨガを結びつけるか?
まさにソレを実践しているのかなぁ、と思いました。

最初に、スダカー先生から、
このスタジオが如何にヨガと真摯に向きあっているのか?というのを感じられて
非常に嬉しいという、お褒めの言葉からいただき…

そして、スタジオに多くあるガネーシャ神は障害を取り除いてくれる神で、
ヨガの練習においては雑念というか、不必要なマインドを取り除いてくれるという事になりますよね、
とガネーシャ神の重要性を説明しました。

さてさて、ヴィンヤサクラスです。
名古屋の前に行われた東京でのワークショップでは、
ヴィンヤサと言いながら動く事なく座学で終わったと聴いていたので
名古屋は是非に座学だけでは終わって欲しくないな~と思っていました。

さて、執着。そして、執着からの解放。

我々はソレをする為にアサナの練習をするのですが、その前に知らないといけないです…

「ASANA と何であるか?」ということを…

そうです。我々は、様々な定義でアサナをしているのです。
それを共通言語としてから始めないと内容は伝わらないのです。
流石はマスター!!!分かってます!

スダカー先生が言うには、我々には知性という物があるのだけど、
その習性として小手作な理解で簡単に言葉にして発してしまうことがあるそうです。

簡単にとりつくろって言葉にしたり、行動にしてしまうのです。
その意味を考えたりせずに…

「アサナという意味は何ですか?」

この時点で、参加者の皆さんは色々思いついて、
頭の中で浮かんだと思いますが、やはり誰も答えません。。

日本では、思っていることを声に出して言うのは美徳ではないのです。
まぁ、不安だったり自信がない人もいると思いますが…

ですが、言わないと、知らないと思われアサナとは?で2時間終わりそうだったので、
「坐る」という一般的な定義な答えを出しておきました。

そう!!very good!!「坐る」と言うこと…と、
次に進んでくれたので、ホッとしました。。。

では、坐るということは、どういうことか?
我々は椅子に座ったりしているが、普段すわるのと、アサナとして坐るというのは何が違うのか?

自分はこの時点で、
「坐ると言うこと」、「アス(お尻)の在る場所」、「スティラ&スーカム」、
「大地に根を張りエネルギーを感じること」、「マインドを鏡のように写しだす手段」、
「無意識に普段あるのを意識的にする姿」など、
それはまぁ、普段クラスで言っている有りとあらゆる表現が浮かんだんですが、
マスターが望んでいる答えは何かな?とか、
他の生徒さん達に答えるチャンスを…と思い、待っていました。。

すると、スダカー先生は…

便利になった現代人のマイナス要因がコレだといいます。
考えないということ。すぐにググれば答えが現れて、それを答えればいい。
頭でその意味を考えなくとも、その答えをコピーして言えてしまう。

だから、アサナは、坐ることです。
と、本や先生に言われたら、意味も理解せずに、アサナは坐ることですよ、と生徒に告げてしまう。

ヨガの練習をする人は、アサナの意味を理解して練習する必要があり、
ソレを理解出来れば、執着からの解放とは?という事は自ずと理解できるであろうと説明していきます。

クラスを受けて最終的には、アサナとは?って頭に浮かんだ内容を、まさに体験する内容だったので良かったです…この真理を実践で理解させるという技術がどんなものか?知りたかった部分もあったので…

マスターのクラスの進め方は理にかなっています。
いつものスタイルは、質疑応答の中から伝えるベキことを組み立てていく、
まさにLIVE感溢れるアドリブなスタイルなんだろうかな~と、思ったりしました。

と、言っても参加者はまだ気さくに意見を発言する感じではないので、
マスターのリード主体で進んでいきますけど…

現代人は考えることなく、言葉や行動にしてしまう。
日常の生活で「すわる」ということ、ヨガの練習でアサナとして「すわる」ということ、
何が違うのか?答えが分からないとググって分かった気になって誰かに話していく…

愚かなことをする人をBOGIと言います。
我々は、YOGIでないといけないのに…

アサナは、ある決まった方向へと向いてないといけない。
アサナをする時もヨギとしてする事が大切なんだと・・・
(皆さんは BOGI としてヨガをしているんですよ!)と・・・

では、執着から解放されるためのアサナとは、どういうことか?
スダカー先生は丁寧に心により執着がいかに産まれるかを説明して、
その後、実践により分かるだろう…

まずは、プラクティスを楽しんで!
と、約1時間ヨガの実践…が始まりました。
内容は機会あれば是非参加して、
どうやって実践しているかを体感して下さい~

そして、最後にまとめに入ります。
いかに実践ができていたか?
完璧にキレイにポーズが出来ていたか?
完璧を目指す所に執着がある。

マインドが5感覚器官から情報を手にし、
どんどん考えはじめていく。
他の人と比較したりして、
コンプレックスが生まれていく…
コレが不幸の出発点だと…

自分的に表現すると、
不完全であるという状態が、
完成された調和された状態だと
受け入れていく…

スダカー先生は、
不完全で笑顔が幸せにする。
と、表現しています。

そして、驚きが、大切だと!
予測つかない突然のショックが、
自分を今に留めてくれるのだと…

この手法は、
どんなポーズが次に来るかわからないから実現しているんだ。
と、スダカー先生は言っています。自分もフリーヴィンヤサというニュアンスで使ってますが、
日々、同じ流れの中の練習でも予想つかない微細な変化や驚きは訪れます。

自分が把握出来ない身体の裏側で、空間の距離感も時間の感覚も分からない状態から、
指と指が繋がる。すなわち、距離感が突然現れるショックです!
そういった新しい情報が生まれる瞬間、マインドは沈黙します。

その沈黙を作り出すのが僕の仕事だ、とはっきり言えるスダカー先生はかっこ良かったです。

中々、言えません。

その沈黙に自己が在ると分かっていても。。。

そんな中で…1本目のワークショップは終了していきました。。。

沈黙は練習生、プラクティショナーの中にあります。

世の中には、
沈黙や悟りのゆったりとした雰囲気をかもしだした先生は大勢いますが、
スダカー先生はそんな演出は気にもしません。

自分自身の闇を見つめるのに、先生自身が私を見て!私のポーズを見て!
と、光輝いていては闇をしっかり直視する邪魔にしかなりません。
闇の中に本当の光が在るという本質を理解している数少ない指導者だな、と思いました…

長くなりましたが、
2本目の、股関節のテーマに続きます。。

マスタースダカーWS②
スダカー先生の2本目のワークショップです。

1本目がヨーガ・スートラからの題、執着と執着からの解放とは?
というものでしたが、2本目は、ココロとカラダの関係~ 股関節 ~ がテーマでした。


何故に、スダカー先生がこんなに人気があるのか?

その秘密がこのクラスにあるのではないか?

・・・という期待が膨らみます。
何故にこんな風に思うかというと、やはり自分がヨガを教えながら
色々苦労しているからでしょうかね?

ヨガの本質は?

とか、人生の嫌気を直視することが本当の癒しだとか、
気持ち良くポーズして身体を伸ばしている人に快楽に陶酔しないで!

・・・と言いながら…多くの生徒さん達は、違うタイプのヨガレッスンに
すーと逃げて行ってしまうを散々見てきたので、
ある意味、本質もあって人気もあることに不思議に感じている部分もあったり、
何か別の特別な方法があるのではないか?

と、興味がわいてしまいます・・・
こう言った意味では、他の参加者さんとは目線が違うのかもしれないですが、
だからこそ、こういったブログが書けるのかもしれないし…ちょっと複雑です。

スダカー先生ははっきり言います。
日本のヨガは、ラグジュアリーだと。

ラグジュアリーというニュアンスは、一瞬つかめなかったけど、
通訳のまどかさんの説明によると、かっこいい・ステイタスと言うニュアンスだそうです。
確かにステイタスと言う雰囲気を持って参加される人もいるけど、
実際、毎日生徒さんを見ている側から見ると、そこまでステイタスかな?
と思ったり・・・
確かに単発参加では、3千円ほどの設定にしていますが、
これは、1回のレッスン参加などヨガの練習したことには、ならないよって意味で、
連続で通っている人も達は半額、それ以下だったりで欧米と変わらない気もするのだけど…

価格がいくらであれ、
参加者の意識の問題を言っているんだろう。
睡眠や食事の様に本当に必要なもののようには、ヨガという存在はいない…
そういう意味でラグジュアリーって使っているのだろう…

自分も、
身体の休息の為に睡眠、心の休息の為にヨガ・メディテーション、って言ってるけど、
「はぁ。。」ってまだ、ピンとこない人もいれば、体感により理解している人もいる。
でも、ヨガ人口から言うと、
まだまだヨガが生活の一部とはなってないことからいっても絶対必需品とはなってないかもしれない…

そういうことも踏まえて、クラス前にスダカー先生と話してみた。

今年、ずっと引っかかっている自分のテーマ。

それは、日本人の性質について。

「日本人は、感情を表にださない。」

それについてどう思うか?ってことを論議しようと思ったら…
スダカー先生は、そのテーマを参加者とシェアしようと思ったのだろうか…
ささっと、会話を切り上げてしまった。。

そういういきさつで、後半のワークショップが始まったのだ。
ホワイトボードに点を書いていく…

その点の周りに円を書き、コレはなんでしょうか?
点であったり、円であったり…
しかし、皆さんは大事なことを見落としていると…この点は、ホワイトボードの上にある点であり、
円もホワイトボードの上にあるものであることを…
ホワイトボードが無ければ、点も円も存しない。。。

私が皆さんに、コレは何ですか?
と、聞くと目が行くのはどうしても点や円だけになってしまうのだ。

自分の解釈だけど、ヨガをする人達が自分で気づいているかどうかは知らないけど根本的に持っている好奇心は、私は誰?というのがあると思う。

けれども、私は誰??私は?私は?

と点や私がいるエリアの円を見ても、円の中の点と言う答えでしかなく、私が見えてこない…
ホワイトボードがあって初めて私が存在しているというスタート地点から見ないと
正確に私と出会う事はできないんだよ、って言ってる気がした。

スダカー先生は、全体を見渡して、言ってることを皆が把握してないと思ったのか?
違うたとえ話を持ってくる。

下に大海、オーシャンがあり、上には木から横に伸びた枝と葉っぱがある。
その葉っぱの上には、一雫の雨水があるのだ。
一雫の雨水は、下を見て思う。あの、オーシャンはどれほど広いのだろうか?どれほど深いのだろうか?
ある時、それを確かめたくなって、葉っぱから落ちることにした。
ポチャンと、大海に落ちて、その疑問に答えれただろうか?
雨水は、恐怖と共に大海に落ちるときに、その雨水という性質を失い、大海という性質に変わってしまうのです。
本質は水であるという、変わらない一体感のなかで…

これも、さきほどと同じたとえにあると思った。
より具体的のようで抽象的に感じたけど、一雫の雨水が私は、私は!と、私は一雫の存在だ!
と思っていたんだけど、変わらない本質、すなわち、本当の自分は、水の属性だと言うことだったりする。

それが証拠に大海に混ざった瞬間に、
それまで一雫の雨水というアイデンティティはあっさり幻のように消滅して、
大海という巨大な水の属性の一部となるのだ。

また、私は?という好奇心が、勝手に私は波だ!私は渦だ!と、言い始めるんだろうけど…

あるヨーガスートラの解説などでは、自然におけるこの一体感を感じれている状態を、
アタ、すなわち、さて、と訳してヨガのプラクティスが出来る状態なので説明をしようか!
と言っているものもあるけど、そういうことかな?…などと思ってしまうのだ。

大海という巨大な水の属性を、社会と言えることができる。

今日の話は、身体とマインド、特に日本人のマインドの話になっていたのだ。

では、この社会というものが、どうヨガのポーズなヒップオープニングと関わるのか?

正直、自分の理解力が乏しいのか?
完全にマスターの伝えたいことを把握したのかどうかは自信がない。。

が、勇気を持って
自分なりの解釈を進めよう…

マスターは、社会性という要素は自分自身を構成する要素にあるという。
エネルギーの集まりとしての我々を幾つかの層に分けて考える。
もちろん、1番の外側は食べ物などで外界と繋がる身体だ。

そして、次の層が思考が来て・・・
・・・とヨガの基本的勉強をしているなら知っているだろうコーシャの様に段階を分けていく・・・

5つのコーシャとの違いは4番目と5番目との間にソサエティーという社会性があるという点だ。

これは、面白い!と、思った。
知性よりも深い層に社会性が来るのだ。

これは、どんな集合知かというと、
長い間、培われてきた民族性と考えると分かりやすい。
島国で、200年続いた江戸時代では国民は、他のエリアに移動する事を禁止されていた。
村社会では周りの人の目を気にしながら、土地に密着して稲を育てて生きていて、
何か不祥事あれば村八分にされたりしてしまう可能性もある世界観。

大陸に生きている人々は、何か不都合があれば、街や村を移動したり、
狩る獲物がいなくなれば新しい場を求めて移動したりする世界観。

大雑把な言い方だが、世界観の異なる思想が自分の知性の奥底に眠っていて、
感情に、思考に、行動、言葉に影響するのだ。

まぁ、その意味で社会性は、3番目と4番目の間にある部分でもあり、
スピリチャリティの一部分ともとれるのでは?と少し混乱した…

いずれにしても、社会性というものの存在をはっきりさせたのは素晴らしいと思った・・・
(この発想はオリジナルだろうか?どの学派か気になる…)

世界で1000年以上続く王朝があるのは、イギリスと日本だけで、
日本に限っては2000年だと言う人もいる。2千年間も1つの同じ王朝が国を守ってきた社会。

世界の中心という意味合いをもつ中華で、漢民族が支配したり、
北のモンゴルや異なる民族が支配を何度も重ねてきたヨーロッパのEUみたいな中華は、
そもそも所有するという概念が違う。

何千年に渡って社会性が違う人々が、領土という利害関係を生む問題を考えた時に、
感情は揺れて、マインドも揺れて、暴動や悪口を言うという行動にでるのは仕方ないのだ。

だこら、我々は、アイデンティティの一部分である社会性という要素を瞬間的に取り払い、
もっと大きな視野の一部分となり、感情やマインドに影響を及ばさない所で世界を見ないといけないのだ。

そして、いつも、
影響を及ばしてしまっているかを判断するリトマス紙のような検査薬として、身体があるのだ。

身体をみるという、手段としてアサナがあるのだ。

間違ったアサナをしている限りは、正しく身体を、マインドを、感情を、社会を見る事はできない。

だから、正しくアサナをしよう!

今回のテーマは、ヒップオープニングと言うことで股関節の稼働域を広げると言うことだった?

ヒップオープニングのお陰で正しいアサナが出来るようになる。
逆を言えば、アサナを見れば、ヒップオープニングができているかどうか?が分かるのだ。

今回はどの種類のアサナを見るのか?

サルバンガーサナだということです。

ヨガのアサナは、逆転とか前屈、後屈、ねじりとか、様々な状態に分けれるのだけど、
どれに当てはまるでしょうか?
という質問から始まり、色々と展開していく。。。

ここから先の実践的なプラクティスの内容は、是非にワークショップに参加して感じとって欲しいです・・
スダカー先生は、色々とカラダを柔軟にしていくテクニックを詳しく知っている先生でした。
P1040553-1.jpg
1月に南インドの旅の途中で子供を対象にしたヨガスクールをしているシヴァナンダ系の先生の子供の生徒達
によるヨガパフォーマンスを見ました。自分は子供達がどの様な練習をしているのか?を、
想像していたら可哀想になり、気分が悪くなってしまいましたが、この学校の先生は特別に
腕をグルグル回したりして子供の肩関節を柔らかくする特訓をして、ヨガパフォーマンスをする子供達を
育てます。そういった学校での知識を身につけているのかな?って、思ったりしました。。

自分もそうですが、ヨガに関わっていて柔軟性を手に入れれるという媚薬はいつも側にあります。
とは言っても、安全に柔軟性を手に入れれるというのは魅力の1つだと思います。
なにか、ここにスダカー先生が東京で人気を得ている理由があるのかも?って思ったりしました。

最後に、
共感できる事を言っていたので紹介します。

スダカー先生は、
何度も言っていました。正しく出来ていないアサナを、何度練習しても出来るようになることはない!

多分、正しくできてないという意味は、身体的にというより、正しく理解していないという意味だと思います。
柔軟性があろうとなかろうと、正しく理解してなかったらアサナをどれだけ練習しても正しく、
アサナの効果を手にいれれない。という意味ではないでしょうか?

自分も正しくヨガを練習して、
正しくヨガを伝えれる先生が1人でも増えてくれることを願ってヨガ講師養成を頑張っている1人なので、
スダカー先生にも頑張りつづけて欲しいです!

ヒップオープニングの実践のテクニックにはびっくりでしたが、
マインドが、日々の行動や姿勢に影響をするもっと根の深い所に社会性があるという話しには、
目から鱗でした。

確かに、練習を実践して真理を理解しつつある素晴らしいヨガの先生達はみんな、
社会性というテーマから目をそらしていないです。
自分の周りの問題事から影響を受けなくなってくると、
社会性というものに触れずにはいられないのでしょう。
目の前にある多くのまやかしから真実を見つめて社会性という影響からも脱却していく・・・

Facebookやブログの記事などを見ていても、社会と向き合った内容を書いている先生と、
我の強い自分のことだけを宣伝しているヨガの先生など違いがはっきり見えています。

ヨガの実践の先にあるもの。

それがハッキリと見えて嬉しいワークショップでした。

またの参加を楽しみにしています。
スポンサーサイト
別窓 | [MySOUL8]ワークショップ(Workshop) について | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑

<<渡辺純子先生による陰ヨガ 特別クラス!! | YOGA de MySOUL8  ~すべてのヨギと共に~ | 山下良道師による名古屋瞑想会at崇覚寺>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 
 
 
 
 
 
  管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL


FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
| YOGA de MySOUL8  ~すべてのヨギと共に~ |